ヤンゴン Yangon(旧ラングーン Rangoon)
ヤンゴン市とその歴史
ダゴン Dagon (6世紀~18世紀)
ヤンゴンは6世紀から18世紀の間、モン族に支配され、シュエダゴン・パゴダを中心にした小さな漁村でした。現在モン族の多くはヤンゴンより東南部にあるモン州に住んでいます。当時のヤンゴンの名前はダゴンDagonでした。
ヤンゴンは6世紀から18世紀の間、モン族に支配され、シュエダゴン・パゴダを中心にした小さな漁村でした。現在モン族の多くはヤンゴンより東南部にあるモン州に住んでいます。当時のヤンゴンの名前はダゴンDagonでした。
ヤンゴンYangon(1755年~1852年)
1755年にミャンマー王朝のアラウンパヤー王がダゴンを征服し、名前をヤンゴンに改名しました。当時ミャンマー王朝はミャンマーの中央部(マンダレーの近く)にあり、アラウンパヤー王は南に向かって占領をしてきました。ヤンゴンは南端にあるため、ヤンゴンを占領したら戦いが終わりになることからヤンゴンと名付けました。「ヤン」は戦いと「ゴン」はなくなる、終わるなどの意味を持ちます。
1755年にミャンマー王朝のアラウンパヤー王がダゴンを征服し、名前をヤンゴンに改名しました。当時ミャンマー王朝はミャンマーの中央部(マンダレーの近く)にあり、アラウンパヤー王は南に向かって占領をしてきました。ヤンゴンは南端にあるため、ヤンゴンを占領したら戦いが終わりになることからヤンゴンと名付けました。「ヤン」は戦いと「ゴン」はなくなる、終わるなどの意味を持ちます。
ラングーンRangoon(1852年~1989年)
1852年イギリスが南ミャンマーを占領し、ヤンゴンの名前を「ラングーンRangoon」に改名しました。それまでにヤンゴンは小さな漁村だったが、イギリスの都市計画により、設計された新しい都市として生まれ変わりました(現在ダウンタウンと呼ばれているヤンゴン中心部はまさにイギリス人に建設された町です)。
1852年イギリスが南ミャンマーを占領し、ヤンゴンの名前を「ラングーンRangoon」に改名しました。それまでにヤンゴンは小さな漁村だったが、イギリスの都市計画により、設計された新しい都市として生まれ変わりました(現在ダウンタウンと呼ばれているヤンゴン中心部はまさにイギリス人に建設された町です)。
1885年にミャンマー全土はイギリスの領土になり、ヤンゴンは商業かつ政治の中心町に変わり、英国領ビルマの首都に変わりました。その後商業活動や人口増加により郊外住宅などが開発されました。さらにラングーン総合病院やラングーン大学なども建設され、20世紀までに公共と社会インフラでロンドと肩を並べるほどとなりました。第2次世界大戦が終わるごろにはヤンゴンの人口は50万人までに増え、ミャンマー人はわずか3分の1程度でした。ほとんどはインド人(55%)、イギリス人と中華人でした。[引用:http://ja.wikipedia.org/wiki/]
1948年1月4日ミャンマーがイギリスから独立し、2006年までヤンゴンがミャンマー国(当時ビルマ)の首都になりました(現在の首都はネピドーです)。そして、1989年にヤンゴンの英語名をラングーンRangoonをヤンゴンYangonに改名しました。それまでにラングーンは英語名だけに使われており、ミャンマー語ではヤンゴンのまま使用されていました。